City & Pop 2012
来たる3/7に1stアルバムを発売する、僕もメンバーの一員のバンド「(((さらうんど)))」は、「2012年型のシティポップ」という紹介をされることがある。
「シティポップ」という言葉を聞いてまず思い浮かべるのは、80年代のある種の日本のポップス。欧米のポップ・ミュージックを消化した洗練された音楽性を志向し、歌詞やビジュアルは、豊かな都会生活とそれを前提としたリゾートへの憧れをテーマとすることが多い。
でも当たり前だけど、それはあくまで80年代の日本という場所・時代でこそ成り立った表現の傾向だと思う。
インターネットにより情報の格差が少なくなって、都会にいなければ得られない情報やモノはなくなったと言ってもいい。経済状況にしても、高度経済成長末期の繁栄を謳歌した当時とは全く違う。
そんな今2012年に「シティポップ」と呼ばれるものがあるとしたら、それはどんなものなのか考える。
「シティ=街」は、もはや「都会」を意味しない。それは文字通りの意味で、僕たちが息をして暮らす「街」そのものだ。
それは僕にとっては自分が住む長野市だし、勿論東京に住んでいる人だったら、それは東京になるだろう。
自分が生活する「街」で、どんな風に遊ぶのか。そこでどうやって人と交わって、どんな「文化」をつくっていくのか。
何かに憧れるのではなく、地に足つけて自分の周りを面白くしていって、例え稚拙でも、他でもない自分自身の手で「街」をカラフルに塗り替えていくこと。
今「シティポップ」と呼ばれるものがあるとしたら、そんな風に「街」を遊んでいる人たちのためのポップスだと思う。
願わくは、(((さらうんど)))もそういう「シティポップ」であることを。